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2014年3月15日土曜日

文句人生にならないために@ヨガ



子供のころの日記を、先日日本に戻ったときに、見つけ、
持って帰ってきました。。あのころの自分自身がどんなことを感じたり見たりしたのか、、
結構、笑える内容もあったのですが、、

今も、心に残っている日の日記を読み返して、
今一度、自分を戒めるきっかけとなりました。。


仏教の大事な教えの一つに、

他人の過ちを見ない、自分の心を見よ。と言うのがあります。


お釈迦さまのおしえはこのように人の生きかたを教えていると言うものが基本です。

どのように生きれば幸せになれるのか。心とは何か。

どうすれば良い心を作れるか。とそのような教えが90%なんです。

ですから今日の私のテーマはどのように生きれば良いのか、

何が幸せに生きられるのか。ということを中心に話して行きたいと思います。。

ちょっと、長くなりそうですが。


どうしても我々人間と言うものは自分の心は見ずに、
他人の批判ばかりしたがるものです。



私が仏教にふれたきっかけは、

祖母が、鎌倉の建長寺の子供座禅会へ私を連れて行ってくれたことでした。

嫌々ではなくて、、元々、寺などに行くことが好きな子供でしたので、
進んで喜んで、ついていったと思います。

少女から、思春期になり、湘南ということもあって、
海のスポーツなんかもしたり、、
見た目、ちょこっと不良っぽい感じになったりしてたのに、
しっかり、座禅の会だけは、月に最低一回は通っていました。。(笑)

そのころには座禅よりも、お坊様のお話に興味を持っていました。


ある日のお坊様のおはなし・・、今でもしっかり、覚えているのですが、

その言葉は私にとても、印象に残り、そして影響しています。


その日に言われたことは、人との出会いの縁は自分の徳によるものである。
と言うことでした。

何を言いたいかというと、
夫婦になるような縁があるのは心のレベルや徳が同じようなものだから
一緒になるのであり、

同じような心のレベルでなければ出会うことも引き合うこともない

というものでした。

だから相手をせめるのなら自分の心を直しなさい。
自分の心が悪いからいけないのだ。自分が変われば相手も変わる。


相手の心を変えたければまず自分を変えることだといわれたのです。


大学生くらいの時でしょうか。。もう、このころは、大人の会に参加してましたが。
夏休み期間だったからか、、滞在しての座禅会だったと記憶しています。

あるとき一人の男性がきましてその方は、

勤行が終わると一人瞑想もせずに逃げるように境内の外へ出てしまったのですが、

ひとりで外に行って散歩をしているのです。

あとで、わかったことですが、その方は座ると眠くなるので歩行瞑想をしていたのでしたが、

そうとは知らずに私はお坊様に文句?を言いました。

みんなの秩序を乱すと思ったからなんですが、

「なぜあの人は瞑想をやらないのですか。ここは瞑想道場なので、
瞑想に集中しなければいけないのでは?
とかなんとか。。

決められた場所と時間どうりやらなければ、
一人だけ時間を守らないと言うのでは決まりがつきません。それは困るというような
ことを生意気にも進言しました。

するとお坊様は、

「人のことはほっておきなさい。人のことで文句を言う前に自分の心を調べなさい。
いまあなたの心は怒っています。その怒りの心に気づいてください。

仏教は自分を直すものであって
人を直すものではないのです。」といわれたのです。

私はまだ納得がいってなかったように思います。
日本流に考えれば、団体の規則を守らないほうが悪いとさせてしまうことろもありますからね。

それなのになぜお坊様は私を咎めるのか。
なぜ相手に注意をしないのか、とそのように思っておりました。
ちょっと、正義な気分だったのかも?

そのわたしの心を見ぬくようにお坊様は違う方向から言われました。

「なぜあなたは怒っているのですか?怒ると言うことは苦しいことでしょう。
なぜ人はいつも苦しんで生きているのでしょうか。

それは、人は文句を言う癖がついているからです。
口に出して言うのではなく、心の中で皆、文句を言っています。

「暑い」「うるさい」「まずい」「汚い」「せますぎる」「大きすぎる」「間違っている」
「つかれた」「淋しい」「忙しい」 文句を言ったから苦しくなるのではなく、
文句が頭の中にある性格が人を苦しめるのです。

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「自分の人生を幸せにしたければ、第1に気を付けなければならないことは

文句人生にならないこと。

世の中は自分の思いどうりにならないのが普通です。

逆に思いどうりになることのほうが不思議です。

いつでも気に入らないことがたくさんあります。

はっきり言えばほとんど全部何もかも気に入らないことだらけなのです。」

「同じ部屋にいても、ある人は『冷房が効きすぎ』と文句をいい。
ある人は「冷房が弱すぎ」という。楽しく暮らしたければ
『何一つ自分に都合がいいように運ぶわけがない。

気に入らないのが当たり前だ』と知ることです。これをどう乗り越えるのかは私次第、
私の見方次第なんだと考えるのが正しいのです。」

文句を言う場合、
「これは私にとっては都合が悪いのだから、私のためになんとかしなさい」
という気持ちなんです。

「この寒さでは何もできないよ。外へ行くのはいやだ。」と天気に文句をいいます。

『私が嫌だから暑くなりなさい』と自分が神様より偉いと言う態度。

他人に文句を言う人は『私が嫌だから、あなたはそれをやめなさい。』

「みんな私の機嫌を取りなさい」と言っているのです。

文句を言う人の性格は
『世の中すべてのものが自分中心に廻ってほしい』と思いたがるのです。

自然も他人も自分の思いどうりに動くと言うことは決してありえないのです。

文句を言う、性格を変えることは、一般の人々にとってはなかなか
超えられないハンデがあって、
それでなかなか幸福になれないのです。

そのハンデとはそれは『自分が正しい』と頑固に思っていることです。

「自分の生活だけは絶対に捨てない」とものすごく強くしがみ付いているのです。

仏教は外の世界を変化させるのでなく、自分の人格を成長させるのです。

「自分の心を発展させよう。自分のこころがいつまでも成長するようにしよう。」
と決めてください。

次のお経を是非、心に残してください。

「他人の過ちばかりを考えつづけ、常に文句を言いたい気持ちでいる。
その人の心に汚れが繁殖する。清らかな境地からははなはだ遠い」ダンマパダ253



人間関係の問題の解決方法は簡単です。

自分の心さえ直せば問題ないのです。

簡単ですが人間にはこれが一番難しいのです。

なぜなら考え方がゆがんでいるから自分が直すべきだと気がつかないからです。

どうしても相手が悪いと考えてしまうのです。

そして人に永遠と説教をしたりもします。


大体、人間というものは他人にいつも指をさして
「あなたが悪い」『あいつが悪い』というものです。

他人の過ちは見やすい。というのがあのお釈迦さまの言葉なんです。

他人に指を指しても何も解決はしませんが。

会社でも「あの上司はいつも私を馬鹿にしていじめるのだ」と怒ったり、
落ち込んだりします。

もし上司を正そう、上司に説教しようとするならば、
素足でスズメバチの巣を蹴ったようなものです。
自分の心を直してしまえばすべてに勝つのです。

このように、頭でっかちになっても心は一向に成長していかない。。

~~~~~~~~~~

あのころの、ただ、人間を知りたい、という純粋な心を思い出しました。

また、再び、仏教を更に学びたいと思いました。


OM NAMASTE


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