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2014年2月4日火曜日

『調和』と『止滅』@ヨガ哲学




ヨガがこれだけ、多くの方に受け容れられている今日この頃ですが。。。
実際に、ヨガクラスノ生徒さんの中でも、あまり、ヨガ哲学については興味のない方も
多い。。ようなのですが。。

正直、、、頭だけで知ってもらうよりは、、、
ヨガをしていく過程で、体・魂の両方で、感じ取っていただければと思っています。

でも、、一応。。。がんばって書きます。

ヨガ哲学には、2通り?の哲学が存在していますが、
それを学び、感じていくこと、その2つが相反しているようで、
実は、行き着くところが同じであるということに気づいてくるのです。


ヨーガ哲学の理解を複雑にしてしまっている二つの哲学、一元論と二元論について、
それらの主題である「調和」「止滅」をテーマに、何とか分かりやすく.....?
書いてみたいと思います。



ヨガとは、一体何を目指すものでしょうか?

ヨガが目指す究極のゴールとは何なのでしょう?

ヨガを行う目的は人それぞれだとは思いますが、
ヨガそのものは本来、何を目指して生み出されたものなのでしょうか。

実はこの答え、ひとつではないのです。

多くの指導者は、あまりこの事実について触れませんが、
ヨガは大きく分けて、二種類のゴールを持っているのです。 

それが今回のテーマである「調和」と「止滅」です。

たった今↑ 思い切り二種類と書きましたが、

これは哲学という学問上の話しです。

一見真逆とも言えるこの二種類のゴールですが。。。
私自身の中では表裏一体、
つまり同じ状態の裏表だと思っています。このあたりが今回のポイント!!になります。

高校生のあたりで、突如、わかったことですが!
、、(私の中で)無と有は同じであるということ。。

ヨガ哲学を支える二大哲学。
そのふたつとは。。。
ハタヨガのベースであるヴェーダ哲学(一元論)、
そしてラージャヨガのベースであるサーンキャ哲学(二元論)です。

前者はハタヨガですから、ご存知身体をぐにゃぐにゃと動かし、
様々なアーサナを行うタイプのヨガです。
 (普段みなさんもこのハタヨガのアーサナを行っている方が多いかと思います。)

このベースにある哲学は一元論で、
自分も他人もあらゆるものは、たった一つのもの(エネルギー)からできていて、
自分とは宇宙という全体の中の一部に過ぎないという考え方です。
ヨガを行うことで、全体の一部であるという感覚を取り戻し、
周囲との完全なる「調和」を取り戻そうとします。 

この「万物との調和」がこのタイプのヨガのゴールなのです。

一方、後者はラージャヨガ、つまりヨガスートラで解説されている瞑想ヨガのこと。

ヨガスートラの時代には、まだアクロバティックなポーズは存在せず、
純粋に姿勢を正して坐し、呼吸を調えて瞑想を深めるというタイプのヨガが紹介されています。

このヨーガでは、上記の一元論のように、心や身体を含む、
あらゆる現象や存在はたった一つのもの(エネルギー)からできていることを認めつつも、
それらの現象をただ見守る純粋な精神(精神原理)が存在すると考えます。
その純粋な精神は、心や身体や物質などとは完全に相容れない、
完全に独立した存在であるという考え方から、二元論と呼ばれています。 

この二元論であるヨガスートラでは、
心の働きを「止滅」させることによって、
その純粋な精神を体験することができると教えます。
この「止滅」によって、汚れた俗世から逃れることができるというのが、
このタイプのヨガのゴールなのです。

ただでさえも理解が難しいこのような哲学なのですが、
それ以上に、これら二つの理論がごちゃまぜにされて解説されることが多いので、
私たちがヨガ哲学を学んでいくと、当たり前のように混乱してしまうわけです。

★自分を周囲とを「調和」させようとするハタヨガの哲学。 

★自分だと思っているものを一度「止滅」させようとするラージャヨガの哲学。

前者は肯定的、
後者は否定的とも言える哲学ですが
私としては両者は同じ哲学の表裏だと理解しています。

それまで「自分」だと思っていたものが「自分ではない」ことに気づくこと。
この最も大切なポイントで、二つの哲学は完全に合致しているのです。 

それに気づくために、
スートラでは心の働きを「止滅」してみなさいと教えます。

普段「自分」だと思っている身体の感覚や心の働きを完全に停止させたとき、
それでも残る自分を体験する。
その純粋意識とも言える存在が自分であることに気づいたとき、
私たちはそれまでの「自分」という感覚を修正し、
皮膚の内側の世界に重きを置かなくなります。 

その結果、セルフィッシュな感覚がなくなり、周囲と「調和」することができるようになるのです。
そして「調和」の感覚をもって生きていくことで、日常から煩いや苦悩がなくなり、
さらに深い「止滅」状態を体験できるようになり・・・

その体験が、

より深くエゴを薄れさせ「調和」の感覚を深める。 

このように「止滅」と「調和」は、たがいに深め合う関係にあり、
どちらの哲学が学問的に正しかではなく、
共にヨーガが目指す境地に導く大切な指標となるわけです。

どちらが真の哲学かなんてことはどうでも良くて、そんなことに対するこだわりすらない、
もしかするとどちらも正しいと感じる境地に誘ってくれるようなゴールであるように思うのです。

少なくとも東洋では、概して皮膚の内側と外側に区別を見出しません。

そこで境界線を引くことこそが、
あらゆる苦痛の元凶であると教えるのです。 
そして、そういった意味では、一元論と二元論は完全に合致しているわけです。

皮膚の内側といった狭い範囲に自己を見出すことは、
例えるならば人体で言う胃袋などがエゴを持ち始めるようなこと。

全体の中で一部に過ぎない存在が、我がために他の器官を犠牲にしたり、
傷つけたりすることは、全体を見ればまったくもって馬鹿馬鹿しい構図。
私たちが皮膚の内側のみに自己を見出すとは、胃袋が持つエゴと同じ。

だからスートラでは、心の働きを「止滅」することでそれに気づくと教え、
ハタヨガでは、周囲と「調和」する感覚を練習するわけです。

一見正反対に思える両理論も、その本質を読み解いていくと、
その奥底には極めて共通する境地が広がっているものなんですね。

みんなでその感覚、深めていけるといいですね。

Shanti Namaste




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