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2014年1月8日水曜日

幸せとは?@2014年にむけて



今日は七草粥でしたね。・・・

昔から、1年を健やかに過ごすことを願って、元旦から7日目にいただく、
薬草の粥です。

人はいつの時代も、幸せに人生を全うしたいと思っています。

2014年になり、いろいろなことが動き出すといわれています。
しかし、人間がつくった経済システムが果たして、末来の地球に住む人間にとって
、また、今この時代に生きる人間にとって、幸せなシステムなのか。。

バブル時代に、青年期?を、過ごした私は、そのときの日本の現状に疑問を持ち、
違和感を感じ、波長もあわかなかった?からなのか、大病をしました。
そして、日本を出ました。

向かった先は、インドでしたが、、たまたま。。。仕事で、呼ばれたから。
別にインドで精進して、何かを得ようと思っていたわけではありませんでしたが。。
結果、20年以上、海外生活をすることとなり、改めて、外から、日本という先進国を
見ることが出来ました。


しかし、今やインドもあの時の、日本と同じようなことが、起こっている気がします。
発展途上国は、先進国をめざし、、モデルにしています。
今、日本人である私達が、世界の大半を占める、発展途上の人たちに
示さなくてはいけないこと。。
先日、FACEBOOKでシェアをしてくださった記事をコピーします。

依存社会から抜け出し、それぞれが、しっかりと、考え、気づいて欲しいと
思います。

以下の記事を、日本にいる甥に見せました。
彼はまだ、中学1年生ですが、じ~っと何か、を考えてから。。

そうだね。。っと、ひとこと。

あなたは、何を思いますか?

==================

「世界で最も貧乏な大統領」と言われているムヒカ大統領が
2012年の地球サミットで語った衝撃のスピーチ。

今までここまで言った大統領がいただろうか?

人類の生きる意味とは...

発展の意義とは...

先進国はどのような気持ちで聞いたのだろう。

ちなみに、日本ではほとんどTVや新聞でこのスピーチを
取り上げていない。

以下がその内容。



【ムヒカ大統領のスピーチ】

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも
感謝いたします。

国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければ
ならない素直な志をここで表現しているのだと思います。


しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは

" 持続可能な発展と世界の貧困を なくすこと " でした。

私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人が
できるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?

可能ですか?

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、
資本主義の子供たち、
即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。

マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで
原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?

あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?


このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で

「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?


どこまでが仲間で

どこからがライバルなのですか?


このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判
するためのものではありません。

その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。


私たちは発展するために
生まれてきているわけではありません。

幸せになるためにこの地球にやってきたのです。


人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多く
しなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが
みんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く
売らなければなりません。

ということは、


"10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか
売ってはいけない社会" 
にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので
作ってはいけないのです。

人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を
続けなければならないのです。

悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。

これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち
首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロール
しなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族まで
こんなことを言っています


「 貧乏なひととは、少ししかものを  持っていない人ではなく、
  無限の欲があり、いくらあっても  満足しない人のことだ 」


これはこの議論にとって文化的な
キーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や
会合をそういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこう
あると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源で
ないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。

そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活
スタイルだということ。



私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。

でも、1300万頭の、
世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。

ヤギも800万から1000万頭ほどいます。

私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の
90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために
戦いました。

そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。

しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、
結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車、などのリポ払いや
ローンを支払わないといけないのです。

毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような
老人になっているのです。

私と同じく、幸福な人生が目の前を
一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます。



"これが人類の運命なのか?"



私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。


愛情や人間関係、

子どもを育てること、

友達を持つこと、

そして必要最低限のものを持つこと。


これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番
大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

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人類の発展とは、幸福とは、運命とは...?

一体この世界はどこに向かっているのでしょうか。

物を大切に、資源を大切に、と言いながら、
次々と新しいものを作り、売らなければ成り立たない
経済社会。

失われていく環境、資源...
増える支払い、ローン、労働時間。

根本的な世界のシステムを、考え直す時かもしれません。

是非、このスピーチをシェアしてたくさんの人に広めてください。

世界の問題について、考えるきっかけになれば幸いです。



満月瞑想・ヒーリング ワークショップ
場所 銅鑼湾ベネッセンス
参加費 300ドル
■12月14日(土)午後5時30分~7時

■1月16日(木)午前10時~11時30分 満席になりました。
■1月17日(金)午後7時~8時30分 あと数席

定員 各5名
 
12月16日は満月です。
月のエネルギーと共鳴し、心・体・魂の波動を調えていきましょう。

瞑想初めての方も大歓迎です!      

瞑想は
"あなた"をより深く強く広く感じ、
知るためのもの。ガイドに従って瞑想し、
あなたへの旅を始めましょう。
ヨガマットの上で、ポーズをとるだけが、ヨガではありません。
静かに坐って、自分を見つめる。
その行いによっていろんなことが明らかになってくる。
それがひとつの瞑想の形です。
そうして、今自分がここにいるということは、
一体どういうことなのかをはっきりと観ようとします。
そうしてその結果、何が本当なのかを見破ること。
そうして、自分は丸出しのそのまま・あるがままであることを知り、
その尊さや壊れない喜びを体験することとなります。



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